高松高等裁判所 昭和30年(う)407号 判決
長谷川宏以外の被告人等の論旨は原判決は採証の法則を誤り事実を誤認して不当に監禁並に暴行の事実を認定し延いては法令の適用を誤つた違法があるというのであり、弁護人の各被告人についての論旨は原判決が監禁の事実を認定したのは事実誤認であるというのである。
しかし監禁とは人を或る時間一定の場所から脱出することを不能又は著しく困難ならしめることであつて、その手段は必ずしも物理的であることを要するものではなく後難を畏れて逃走を敢てすることができないようにした場合にも監禁罪は成立するのである。岩田房江の場合連行されて留め置かれた場所の内大内謙吉方と星野勝夫方に於ては昼間特別の監視人が居なかつたこともあり、殊に大内方に於てはその際大内の妻千代子に伴われて二人で銭湯に行つたことも一度あつた。このような場合脱出しようと思えば物理的には必ずしもその機会がなかつたわけではないことは所論の通りといい得るのであるけれども、本件は日本共産党という大きな組織の中に於て被告人等から一定の場所に連行されて査問を受け、なお引き続き査問続行のためその場所に或は更に新な場所に順次留め置かれて起居を命ぜられ、その間多くの場合監視人を付され主として夜ごと査問が続けられていたことは証拠上明らかであるから、かかる状態下に於て仮りに昼間家人以外特別の監視人のいない機会をねらつて一時脱出したとしても、到底姿を隠しおうせるものではなくその後に来る更に強力な査問乃至は仕打のあることを覚悟しなければならず、その後難を畏れて脱出するということ自体及びもつかぬことであつたことは岩田房江の供述により極めて明らかなところである。従つてかような一連の監禁期間中たとえ昼間監視人の居なかつたときがあつたにしてもその間監禁が中断されたものと解することはできない。又間島美代子の場合は殆ど終始監視人が居たのでその監視人がたとえ女一人のときもあつたとしてもこれ亦脱出ということ自体考え得る余地のなかつたことは岩田房江の場合と異なるところはないのであつて、何れも監禁罪の成立を否定し得るものではない。なお証拠を検討するに岩田房江や間島美代子は論旨が主張するように決して自ら進んで査問や監禁を受けたものではなく被告人等の要求により已むなく査問に応じたに過ぎないもので、同意のもとに行われたことであるから監禁罪は成立しないとする論旨も理由がなく、原判決の認定は相当であり各原判決挙示の証拠によりその各判示事実を肯認するに十分である。
(裁判長判事 坂本徹章 判事 塩田宇三郎 判事 渡辺進)